空元気日記

小さな幸せを綴っていきます

自動車学校の複数教習

今日は自動車学校の複数教習だった。教習生は私と19歳の青年と教官。路上に出て走ったあと、お互いの走りっぷりをディスカッションする。教官は結構ぶっきらぼうな感じでで教習生をお客さんとは見ていない感じのタイプ。こういうタイプには下手から出るのが問題が少ないことは今までの教習経験から学んだことだ。それをもう一人の教習生にも伝わればいいなと思ったが、青年は自然体な感じで教官の指示をあっそという感じで受け流しているように見えた。おっと今日は何だか不安な雲行きになりそうだぞ、しかも2時間もある。私は二人分の力で下手から出ることにしようと心の中で誓った。

まずは私から運転することになった。こういう複数教習の場合、いつも私が一番最初にやらされている。いわばかっこうの実験台なのだ。しかし一番初めは結構やりやすい。失敗しても多目に見てくれるからだ。

私は青年をルームミラー越しにちらりと見て、勝ち負けや争いごとをするわけでは無いのに負けないぞと思った。将来における可能性の少なさは私の方が優っている。ミラー越しの青年は何だか眩しかった。私は一瞬で負け犬(loser)になった。

教官は横で唸っている。何を見て唸っているのかはわからない。運転の仕方がまずかったのか、それとも逆によかったのか唸り声からは判断できない。これでもかとばかりに交差点をきょろきょろと見渡して安全を確認する、前方はよく見れていない。だんだん不安になってくる。落ち着かせようとしてハンドルの握りを緩めて頭のネジも少し緩めてみる。緩めすぎて運転していることを忘れそうだった、危ない。

案外無難に運転することができて、青年にバトンタッチだ。

青年はそつなく運転をこなしていった。さすが若いとはこういうことかと思わせる。心の中で失敗しろとまでは思わないが、何かボロが出てもおかしく無いはず、天は二物を与えずというではないか、青年が持っているのは若さと運転技術、私に与えたもうたのは下手に出るシチュエーションと遺憾無く発揮できるぶっきらぼうな教官だ。

その能力は次のディスカッションでいかされるだろう、そこで形勢は逆転するはず。

教官は私たちの1時間かけた路上運転での気になったことをあげつらっていった。そして青年も私が犯したミスを挙げて行った。教官はミスとは感じなかったと私を擁護してくれた。青年と比べて私が持たざるものが少ないことに対する憐れみだろうか。そして教官は青年の運転で危なかったところを挙げた。なぜか私に対しては私は必要以上に青年を擁護した。持たざるものが持つものへの憐れみ、憐れみは持っているぞという負け犬の遠吠えのようだった。

教室から出ると、青年はおつかれさま、と声をかけてくれた。私は嬉しくなって気分良く帰ることができたのだった。